進捗情報

2016.04.04 近況

2015年11月に解体が始まり、2016年3月に解体完了した重茂の2つの小学校。県道「重茂半島線」の工事が進む中で迎えた3.11の地震発生時は、遺跡の出た山の上から千鶏の海に向かって祈りました。秋までには、編集映像を現地公開したいと考えています。

2015.12.13 (sun) 重茂半島縦断公演。 無事救出しました。

鵜磯小・千鶏小 被災ピアノ救出プロジェクト

 

昨年閉校式を行い重茂小に統合された鵜磯小と千鶏小。この2つの学校の解体中の校舎から、弾ける状態に在りながら廃棄決定された被災ピアノ計3台を各地区内の公的場所に保存するために、地域とPR45が共同して行うプロジェクト。震災から生きのびたピアノの現物保存のため、調律なしの条件で演奏者を重茂に誘致し、使いながら残し、守ることの意義を訴えた。

 

演奏者 

演奏①|千鶏小校歌・重茂中校歌|馬場尚見(宮古市立重茂中学校3年)

演奏②|鵜磯小校歌・縦断公演内|東北大学ピアノサークルSemplice エントリーメンバー12名 曲名リスト

 

使用ピアノ

①鵜磯小講堂のピアノ|アップライト|校舎1F床≒1.5mの浸水・講堂は浸水なし|北地区公民館へ保存|

②千鶏小2F 音楽室のピアノ|アップライト|校舎2F床≒5cm、足元までの浸水|千鶏小体育館へ保存|

③千鶏小体育館のピアノ|アップライト|体育館床≒5cm、足元までの浸水|千鶏小体育館へ保存|

 半島をつなぐため、千鶏小会場では①と②の二台ピアノで演奏予定。

 

被災ピアノ救出プロジェクト
plan.02 鵜磯小・千鶏小被災ピアノ救出プロジェクト「重茂半島縦断公演。」企画書(c)PR45 / Noriko Shindo
被災ピアノ救出プロジェクト
plan.02 鵜磯小・千鶏小被災ピアノ救出プロジェクト「重茂半島縦断公演。」企画書(c)PR45 / Noriko Shindo

撮影手記

この時期、あわびの口開け最優先となる海の町。ここが防潮堤で囲まれることはないし、浸水して廃校になった学校の解体で、震災遺構を持たない町になる。車で30分かかる距離を北から南へ走り抜け、救出と2つの校歌を記録するために与えられた限界時間は、あわびの仕事が終わった午後2時から日が落ちるまでの2時間だけ。段取優先、一発勝負、待ったなし。演奏する東北大学ピアノサークルSemplice代表・井内さん(薬学部3年)は「何分でもその場で合わせる」という。こちらは「どういう状況でも回すし、不測の事態が起こればそれを撮る」という。これはイベントではなく、セミドュメンタリーの公開撮影として計画したものだから。

 

2日前、重茂に警報が出た日の夜、宮古市内では断続的に降り続いた雨で山田線が脱線する重大事故が起こり、予定していた報道側からの取材キャンセルが相次ぐ。港の復旧状況をアピールするために、背景にすることを意図していた音部の堤防工事の台船も接岸できない。前日には地区内の不幸も重なった。協力体制の規模が読めない。だけどやる。解体現場に搬出を許されたのは設定した1日だけだ。テレビや新聞はときに良き理解者でもあるが、日々の優先順位の中から作られるニュースの選択はとても残酷だ。この企画は、自分しか撮らないことになる。

 

12/13(日) 13:00 千鶏小・14:00 鵜磯小。漁協の無線放送から流れる校歌伴奏を合図に、記録撮影が始まった。結果として、何十人もの地元漁師や漁協関係者や、その家族、解体業者がその場の判断で自発的に動き始めて裏方と表舞台が交錯する、前代見聞の段取の中の演奏会となっていった。これは全国に出て行く企画だ。こんなの、もう二度とつくれない。(2015.12.16 企画者/新藤記)

 

掲載記事

2015.12.15 毎日新聞 /朝刊 26面

「被災ピアノ、音色再び 宮古・閉校の2小学校から『救出』 重茂半島縦断公演を実現 /岩手」

2015.12.15 岩手日報 /朝刊 24面 沿岸「閉校小のピアノ音色再び 保存決まり演奏会」

2015.12.1x 朝日新聞 

国道45号撮影班。PR45 公式サイト
国道45号撮影班。PR45 公式サイト

[統合] 鵜磯小・重茂小・千鶏小/宮古市

[解体] 赤浜小/大槌町

[解体] 唐丹小/釜石市

[統合]越喜来・甫嶺・崎浜小/大船渡市

[遺構保存] 気仙中/陸前高田市